筑波舘歴史 |
筑波館のいわれ |
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尊王攘夷、処世の変革の中 明治元治元年3月27日、尊王攘夷派の水戸天狗党 藤田小四郎らが狼煙を上げ 筑波山の知恩院中禅寺を本拠地―筑波の館―とした。そして明治、4層楼の西洋舘を新築した際 屋号の大越屋を筑波館と改称した。 |
江戸時代 |
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3代将軍家光が知恩院に 堂宇伽藍を寄進し、つくば道を造りその街道筋に 旅篭屋 茶店を作る |
(寛永年間)
つくば道、門前に大越屋として旅篭を造る その後 大越屋茂衛門として代代受け継がれる。 |
明治時代 |
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廃仏毀釈などにより、客足が遠のき そこで茂一、源次郎。茂一郎(親子3代)が集客のため横浜に3人の棟梁をつれて行き 洋館の研究をし当時では珍しい木造4階建て、土壁、陸屋根(展望台)の洋館を建て 筑波の名物にし一時隆盛を極めた。 |
大正時代 |
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大正14年神社脇にケーブルカーが運営開始 |
昭和 |
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終戦後 車、バスなどの交通の手段が発達 |
昭和34年 車・観光バスをターゲットにしたお店 筑波舘売店を出店。 |
昭和40年 ロープウェー運営開始 |
昭和41年 登山客をターゲットとした山頂支店筑波ロッヂを出店。 |
昭和48年 車の普及 交通網の発達により首都圏から日帰り圏内に
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筑波舘をドライブイン形態にする(筑波舘本店) |
昭和53年 筑波舘売店を改築 レストセンター筑波舘支店と改称する。 |
平成 |
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平成5年 本店改築 |
現在 |
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筑波スカイライン沿いに新しい形のホテルを構想中 |