筑波山神社 |
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鎮座地 |
茨城県つくば市大字筑波1番地ノ1 |
御祭神 |
筑波男ノ神 いざなぎのみこと
筑波女ノ神 いざなみのみこと |
境内地 |
海抜270メートル |
境内社 |
春日、日枝、朝日稲荷、厳島、愛宕神社など |
御神徳 |
御祭神のニ神は日本の祖神(おやがみ)として「古事記・日本書紀」にそのご神徳が書かれています。 |
- 二神が結婚して神々を産み国産みをされたことにより、縁結び・夫婦和合・家内安全・子授け・子育て等のご神徳と、
- 国土経営をなされたことにより、開拓・国家運営・社運隆昌・職場安全・工事安全・交通安全等のご神徳。
- 豊作や大漁などの産業面。
- 厄除け方位除、心願、安産、進学等の合格祈願などに祖神たちの強いご神徳を戴くことができます。
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御由緒 |
日本神話 |
筑波山は、関東地方に人が住むようになったころから、信仰の対象として仰がれてきました。御山から受ける恵みの数々は、まさに神からの賜物でありました。その山容が二峰相並ぶため、自然に男女二柱の祖神が祀られました。その後祖神は「いざなぎの神・いざなみの神」と日本神話で伝えることから、筑波の大神も「いざなぎ・いざなみ両神」として仰がれています。 |
筑波命(つくばのみこと) |
第十代崇神天皇の御代(約二千年前)に、筑波山を中心として、筑波、新治、茨城の三国が建置されて、物部氏の一族筑波命(つくばのみこと)が筑波国造に命じられ、以来筑波一族が祭政一致ど筑波山神社に奉納しました。 |
日本武尊(やまとたける) |
第十二代景行天皇の皇太子 日本武尊(やまとたける)が東征の帰途登山されたことが古事記に書かれ、その御歌によって連歌岳の名が残ります。 |
万葉集 |
奈良時代の「万葉集」のは筑波の歌二十五首が載せられ、常陸の国を代表する山として親しまれたことがわかります。 |
延喜の式制 |
延喜の式制(927年)で男神は名神大社、女神は小社に列しました。 |
中世以降 |
中世以降仏教の興隆につれて筑波山にも堂塔が建ち、小田城主男八郎が国造りの名跡を継いで神仏並立の時代が続きました。 |
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江戸時代〜明治時代 |
江戸時代、幕末は江戸の鬼門を護る神山として神領千五百石を献じました。幕末になって藤田小四郎等が尊王攘夷の兵を起こした筑波山事件を経て明治維新となり、神仏が分離されて神社のみとなり、明治六年に県社となりました。
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神社パンフレットより |